Last updated August 15 2004.

紅茶のコーナー

紅茶について知っている情報を載せています。
これは違うかな?こんな情報があるよ!というのがあれば気軽にお知らせください。
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コンテンツ

  1. 紅茶の好きなところ
  2. 紅茶の効用
  3. 原産地
  4. 緑茶と紅茶とウーロン茶


    <以下作成中>

  5. 歴史T(〜18C)
  6. 歴史U(19C〜)
  7. アイスティー
  8. ティーバッグ
  9. 缶/ペットボトル紅茶
  10. 主な紅茶生産地
  11. 主な紅茶消費地
  12. 最近飲んだティーバッグ
  13. オススメ本/ホームページ


              1.紅茶の好きなところ

 水の色がきれいなところ、パッケージで異国の雰囲気が感じられるところ、いろいろあるけれど、何と言っても味と香りが心地よく、元気を運んでくれて力を出させてくれるところが一番好き。



              2.紅茶の効用

 タンニンは食べ物の消化を助け、体内の脂肪の燃焼を促進。カフェインによる目覚めの効果・利尿作用(新陳代謝の促進)もあり。



              3.原産地

茶:学名カメリア・シネンシス Camellia Sinensis (L) O.Kuntzeの中心的な原産地。
A.中国雲南省西双版納タイ族自治州周辺地域 :中国種   var.sinensis 小葉種
B.インド東北部アッサム地方            :アッサム種 var.assamica 大葉種
 現在では茶の原産地は中国とベトナム・ラオス・ミャンマー・インドとの国境一帯の広い地域であると考えられている。



              4.緑茶と紅茶とウーロン茶

 全て同じツバキ科ツバキ属の常緑樹の新芽・若葉が原料。同一の植物を品種改良しているもので、元は同じ。また加工の際の製造方法・発酵度の違いからも区別できる。




          5.歴史T(〜18C)

a.<18世紀までの主な出来事と流れ>

1607   オランダ商船、マカオで中国茶を買い付け、本国へ送る。
1610   オランダ東インド会社、平戸に来航、マカオの中国茶と共に日本茶を本国へ送る。
1630年代 イギリスにオランダ経由で初めて茶が持ち込まれる。
1657   イギリスのコーヒー・ハウスで初めて茶葉が売り出される。
1669   イギリス東インド会社、バンタム(ジャワ島)等で中国商人から直輸入開始。
1684   バンタムがイギリス船の入港を禁止、中国厦門(アモイ)での輸入に切り替える。
1717   イギリス、広東港での貿易を許され、茶輸入量が大幅に増加。
1730年代 イギリス東インド会社の紅茶の輸入量が緑茶の輸入量を逆転。
18世紀半 イギリス、広東港発の茶の輸入がオランダを上回り、欧州一の茶輸入国に。
1773   アメリカでボストン茶会事件発生、独立戦争へ。

主に中国、日本で親しまれていたお茶がヨーロッパに紹介されたのが16世紀。
17世紀に入り、オランダ・イギリスがアジアに進出してインドや中国、
インドネシアに拠点を置いて東インド会社を作り貿易を開始。

初めはオランダ東インド会社が拠点バンタム、ついでバタビィア(現在の首都ジャカルタ)に
来航した中国商人戎克(ジャンク)から茶などを買い付け、ヨーロッパに広めていった。
イギリスはインドネシアにおける覇権争いでオランダに敗れ、しばらくオランダから
茶を買っていたが、1869年、イギリス東インド会社自らジャンクから入手することに。

当時茶はオランダ・イギリス・フランスの王家・上流階級の一部にのみ飲まれていた。
砂糖・ミルクを用いたのは18世紀以降の話で、それまでは日本や中国で
飲まれている様々なやり方を試行錯誤していたと思われる。(茶器も入手していた)
当時輸入されていたのは日本茶と中国茶で、まだ紅茶はなく全て緑茶であった。

1657年、イギリスのコーヒー・ハウスが茶を販売し、客に飲ませるようになった。
コーヒー・ハウスとはサロン&喫茶店の前身で、貴族や商人がコーヒーを飲みながら
情報交換をする社交場の役割を果たしていた。値段は高く、一部の上流階級の人間にしか
手は届かなかったが、茶がイギリスで広まる大きなきっかけとなった。

1684年、バンタムを治めていた王国が、自立援助と引換にオランダに貿易独占権を与えたため
イギリス東インド会社はバンタムから追放され、5年後中国厦門からの輸入に切替。
厦門は茶の名産地武夷山に近く、扱う茶の大半が半発酵茶(ウーロン茶など)であるため、
イギリスでは不発酵茶(緑茶)に加え、半発酵茶が飲まれるように。
発酵させたお茶はイギリス人に好評で、より発酵度の高い全発酵茶(紅茶)が見出され、
1702年には紅茶(ボヘア種)が東インド会社の買い付けの六分の一を占めた。
ボヘア紅茶は安価で緑茶よりもイギリス人の好みに合うため人気を呼び、
後に紅茶主要4種の輸入量が緑茶4種の輸入量を上回る要因となった。

1717年、中国の大貿易港広東での貿易権を確保したイギリスは、ジャンクを通さず
大量の茶を入手することができるようになり、輸入量が爆発的に増加した。
英:1669 143ポンド → 1690 41,471ポンド → 1721 約100万ポンド → 1766 約600万ポンド

オランダの1766年の輸入量(広東港ベース)では約450万ポンドで、18世紀半ばには
イギリスがオランダを逆転したと見られる。かつオランダでは全てが国内消費に回らず、
イギリスへ再輸出されたため、消費量ではイギリスがオランダをすでに圧倒していた。

18世紀にイギリスでの茶消費が伸びたのは、1702年に英国王に即位したアン女王が茶を好み、
上流階級の婦人に広まったこと、2度にわたる輸入関税の減税によるものが大きい。
紅茶も安価なボヘアだけでなく、高価なコングーやスーチョンも飲まれるようになった。

ボストン茶会事件。
アメリカ入植者が本国イギリスの重い茶関税に反発して茶箱を投げ捨てた事件。
茶はアメリカ独立戦争のきっかけになるだけでなく、まだまだ世界史を賑わせることになる。
アメリカ植民地を失ったイギリスは、以後より中国・インドでの活動に力を注ぎ、
そこに再びお茶が絡んでいく。

→歴史U(19C〜)につづく

b.<緑茶→紅茶への移行>

茶は17世紀にヨーロッパに伝わりましたが、最初は薬として、そして高貴な飲み物として
貴族に広まったようです。先駆者のオランダでも広まりましたが、18世紀以降圧倒的に
イギリスで流行。ヨーロッパに行ったお茶は当初緑茶。中国にも紅茶はほとんど存在せず、
当初主に日本茶(抹茶など)が輸入されていました。その後鎖国をきっかけに、茶輸入の
主力は中国緑茶に。鎖国してなければ、日本茶が世界標準になる可能性があったかも(!)
紅茶は18世紀に入ってから、もともとあったウーロン茶(半発酵茶)を欧州人の好みに
より合わせるために発酵を強くして作られたのでは(強発酵茶)、と考えられます。

欧州人の好きな肉類は確かに紅茶の方が合いますよね?脂肪を溶かす力も強いでしょうし。
戦後の日本でも紅茶が人気になって(普及しやすい安いお茶だけではなく高級茶も)
きましたが、やはり食生活の欧米化(肉食化)の影響が大きいのです。
お米とお魚なら、緑茶の方が合いますしね(^^)最近はカテキン効果で
緑茶も見直されてきていますが、もうしばらく紅茶の流行は続くのではないでしょうか。
でもお腹痛を直すのはやっぱり温かい緑茶ですね〜僕には必要不可欠です(笑)

              <以下作成中>

              6.歴史U(19C〜)
              7.アイスティー
              8.ティーバッグ
              9.缶/ペットボトル紅茶
              10.主な紅茶生産地
              11.主な紅茶消費地
              12.最近飲んだティーバッグ
              13.オススメ本/ホームページ

              ※一応無断転載はしないでくなさい。誰もいないと思うけど(汗)


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